「れば」と「たら」

先日、本をタブレットにダウンロードしました

「啼かなくていいホトトギス」 小林正観さんの本です

(小林正観さんは、マリーさんに紹介してもらって今回で3冊目です)

優しく心に入ってくる言葉には、気付かされることがいっぱいで

すぐに読み切ってしまいます


  *******

その中に、

「もし、あのときこうだったら… 」

「もし、あれがこうなっていれば… 」

という仮定の話は無意味、存在しないのだとありました

自分の人生の3時間前も2時間前も1時間前も、

全部自分が選んだことは、宇宙的に歴史的にすべて決まっていたことと。。。

  *******


確かにそうなのかもしれません

その時、その時は、自分なりに考えて動いていたはずです


しかし、息子が亡くなってから… 何度、いや、何十回、いやもっと、

もしあの時… もしあの時… そんな堂々巡り

答えの出ない堂々巡りを繰り返したことか。。。


今の私は、そんな巡る思いに囚われることは少なくなりましたが、

私の中には、どうにかできたはず… 救えたはず… の思いが消せない

そう思うのって、親の私の思いあがり、驕りなんだろうか


『もし…気付いてもらったとしても… 自分が変わらないとどうにもならないこと

 だから、気がついてやれなかったとか、けっしてそんなふうに思わないでほしい』

そう、息子に言われてもまだ、私は、親として何か出来たはずという思いが残る



「れば」と「たら」は存在しない


なんだか百の承知のことのような気もする反面、

まだ、その言葉を呑み込めない。。。

いつか… そう思うかもしれないけれどね




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そう思える時は

>「れば」と「たら」は存在しない
    存在しない。

>なんだか百の承知のことのような気もする反面、
    頭では承知のこと。他人は、
    いつもそう言葉を私に掛ける。

>まだ、その言葉を呑み込めない。。。
    まったく呑み込むことなどできない。

>いつか… そう思うかもしれないけれどね
    そう思える時は・・・あの子に会えた時。
    そう思ってしまうのはマイナスの心なのだろうか?

No title

今だから思うんです。
「れば」 「たら」 

あの日に戻れたとしても。あの日までの私は同じことをするでしょう。
だから「れば」 「たら」は、意味がない。

でも・・・思うんですよね。
逝くまで思うんですよね。

おはようございます(^o^)/

「たら、れば」は
親の思い上がりでもない、
この世に生きる親の愛だとおもいます。

でも、あちらの世界にいる人にとっては、
言葉は悪いけど、どうでもいいことなのかもしれない。

私たちは「たら、れば」は無意味という気づきを得るために
このような試練を与えられたのかもしれません。
だからきっとこの堂々巡りは気づくための大事な過程なのかも。

息子たちはそんな私たちを見て、
「ああ〜!もう少しで気づきそうだったのにー。惜しいなあ〜」
なんて、思いながら見てるのかな?

No title

soraさんへ
こんにちは。
私も小林正観さんの本は、このところよく読んでいます。
なるほど〜と思う時もあれば、だけどね…と思ってしまう
ときもあります。

たら、とれば、は
ずーっと、いつもいつまでも心の中にあります。
それが無意味だと言われても、まだまだ受け入れられないです。

向こうへ還った時に、息子にあえて、
そうだったの…って、わかった時に
初めて受け入れられるのかもしれませんね。

苦しい苦しい堂々巡り…ですね。

Re: そう思える時は

丸虫さん、こんばんは

> >まだ、その言葉を呑み込めない。。。
>     まったく呑み込むことなどできない。

> >いつか… そう思うかもしれないけれどね
>     そう思える時は・・・あの子に会えた時。
>     そう思ってしまうのはマイナスの心なのだろうか?

頭の中でちゃんと分かっていることでも
どうにもならない思いがありますね

心の奥底に、その思いを生涯抱えて生きていけばいいと
思ってはいたけれど、
息子からしたら、手放してほしい思いかもしれないな…とも思う

難しいね 自分の心が一番

いろいろな本を読んでいると、
時に改めて、自分自身に問いかけることができ
結果は、どうであれ… 
その「時」を持つことも大切に思えてね。。。

Re: No title

母さんさん、こんばんは

> あの日に戻れたとしても。あの日までの私は同じことをするでしょう。

そうかもしれませんね
確かにその時々、自分の思うままに、考えのままに生きてきたんですからね

私は、喉まで出かかった言葉をのみこみ
今は、ただそっと見守ろうと、あの時はほんとうにそう思った

その時の私が考えたこと

> でも・・・思うんですよね。
> 逝くまで思うんですよね。

なかなか手放せない思いですね

Re: おはようございます(^o^)/

おっかあさん、こんばんは

> 私たちは「たら、れば」は無意味という気づきを得るために
> このような試練を与えられたのかもしれません。
> だからきっとこの堂々巡りは気づくための大事な過程なのかも。

そうですね
今は、以前のようにその思いに囚われることは少なくなりましたが
その思いを手放すことまではいきません

気付くことはできても、思いを手放すことが難しいです

息子たちはそんな私たちを見て、
> 「ああ〜!もう少しで気づきそうだったのにー。惜しいなあ〜」
> なんて、思いながら見てるのかな?

そう思いますね

「母さん、それ違うし… いつまで思ってんの」という声が聞こえそうではありますがね

いつか手放すことができたら… ぐらいにのんびりいきますi-229

Re: No title

まねき猫とねずみくんさん、こんばんは

> なるほど〜と思う時もあれば、だけどね…と思ってしまう
> ときもあります。

確かに。。。
その時々の自分の心の在り方もあって
いつも、頷くことばかりではありません
けれど、時が流れて、また読んでみると、きっと違う感じ方を
するんでしょうね

> 苦しい苦しい堂々巡り…ですね。

私が、まだ、まねき猫さんぐらいの時は、頭の中、
そんな思いでいっぱいで、堂々巡りがとめられませんでした

そんな思いを消すことが出来ないかもしれないけれど
少しづつ、小さく静かになっていくといいですね
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